【コラム】2015年のまとめ


今年一年のまとめという事で、てきとーに書いていきますー。

昨年2014年は、大規模な案件が立て続けにあり、ひたすらそれらの制作とプレッシャーに追われ続けて終わった一年。
細かい事を考えている余裕なんぞ何もなかった。とにかく目の前の大きな案件をこなしていかなければプロジェクト自体が事故ってしまうので、必死に突っ走っていた。
今年2015年は、昨年よりは制作のペースは落ち着いたのと、引越をして、他人との交流がさらにしやすい環境になったというのもあり、人との新しい出会いのご縁がたくさん発生した一年だった。

ただ、バランスの取り方って難しいなと感じるのは、人は何かを得ると何かを失う。特に「時間」というのは顕著にそれが分かりやすく、人と交流すればするほど、制作の実働時間が減ってしまう。急激に人との交流が増えた分、このバランス取りが少し難しかった。
今から確実に分かっている事は、2016年は今までの神馬のやり方をガラっと変えて行かなければ成り立たないという事。
その事から、必然的に2016年は今までと比べて変化の大きい年になるだろう。

 

まずは、体力的な変化。
その一つとして「徹夜ができなくなった」という事。
一晩徹夜したら次の日からしばらくヘロヘロになってしまうようになってきた。
昨年までは少々タイトなスケジュールでも「徹夜すればできる」で乗り切っていたのが、その技が通用しなくなった。
一つ技が封印されたのなら、違う技を編み出すしかない。そうやって「今」を生きていくしかないんだ。
それでも今までの技に囚われて徹夜を続けるようであれば、そいつはタダのバカだ。僕はバカには絶対にならない。
「諸行無常」万物は常に移り変わって変化していく、常に同じという事はあり得ない。自分の身体も、心も常に一定ではない、変化していくんだ。
忘れないように何度も自分に繰り返す「現状維持は”後退”。常に前進でようやく現状維持」その先に行くには? それ以上に精進が必要。今後、年齢を重ねればさらにキツくなるだろう。今の自分に適応していくことが必要。
その体力的な変化を逆に利用して「アシスタントさんを雇う」という形で後進育成にもチャレンジする事にした。
自分の体力が追いつかない作業は、アシスタントさんにうまーく手伝ってもらう。するとアシスタントさんの経験にもなる。僕の作業も楽になる。一石二鳥。全ての作業を自分でやる必然なんてそもそもないんだ。

そのきっかけは大分前に先輩作曲家さんとお話をした時に「後悔が一つあるすれば、自分の右腕を育ててこなかった事だ」と、呟いていた事だ。
色々な成功談を聞くよりも、こういう後悔談の方がなんだかリアルだ。
「なるほど、後輩を育てるというのは、なるべく早いうちにチャレンジした方が良いな」と感じ、今年から早速アシスタントさんに来てもらった。なるほど確かにこれは成功だったなと感じている。

最初は「まだまだ未熟で経験も大した多くも無い自分が後輩に教えるだなんて」とか「もうちょっと自分が経験を積んでから」とか、思っていたが、でもね、人って何年やっても「自分はまだまだ未熟だ」って思う生き物であり、そんな事言ってたら一生誰も育てられないと思ったんだよね。
それだったら、「今自分が知ってる事、得ている事の範囲で、後輩の役に立てればそれで良し」と割り切ったわけ。別にそれでいーじゃん。神馬は神馬の器(うつわ)でしか教えれないし。それが気に入らないなら、他の人の所に行けば良いし、それが役に立ったという結果になるんだったら、それで良いんだよね。そもそも細かい事を気にしすぎていた。
そして、仕事の案件自体について。

これまでは「入って来た仕事は全て受ける」というスタンスでやってきて、まぁそれである程度上手く回ってきたわけで、意外なチャンスが開けたりとか、問題無かったのだけど、今年からはそれでは回らなくなっていた。
全ての仕事を受けていたら、身体がたりない。
一番ヒヤヒヤするのは、仕事が重なりすぎてクオリティに影響が出そうな時だ。それはあってはならない。
だからこそ生意気に思われるかもかもしれないがこれからは「自分がやらなくても良い」「ギャラがあまりにも相場感からズレている」と判断した案件は積極的に断っていく。
「自分がやるべき事」を、より絞っていこうと思う。
でもね、本音は嬉しいんです。「神馬にお願いしたい」って言ってくれるのは、心から嬉しい。それらを選んでいくなんざ、なんて生意気なんだと思うんだけれども、やらなきゃいかんわけです、これからは。
2010年29歳の時に上京して5年が経って、現時点で34歳。
この5年間はあっという間だったのだが、これと同じ時間を過ごすと39歳。
この事実にゾッとしてしまった。うかうかしていたら寿命がきて死ぬぞ。

30歳を過ぎてから常に「死」というものをとても意識するようになってきた。
「まだそんな事考えるの早いよ」と言う人もいるだろう。じゃあね「自分が明日生きている保証なんてあるの?」と聞き返したい。誰も明日の事なんて分からないんだ。
立ち止まってる場合ではない。
今日からの5年間は、これまでの5年間を超える5年間でありたい。そうなるように行動していく。
5年という期間は確実に人生を変えることができる時間だ。

「自分に”時間が無い”という風に考えるな、”時間は5年もある”と考えろ」
とかいうポジティブシンキングがあるけど、ふざけるな。そんなのクソ喰らえだ。時間は多いに越した事は無い。チャレンジできる回数は多い方が絶対的に良いんだ。俺は安っぽいポジティブシンキングには騙されない。成功本でも読んでろ。
閑話休題

周りが自分の事を叱ったり貶したりしてきた時は、「うるせー、このやろー、バーカ、死ね」って心の中で言い返しながら、あとは自分で自分を褒めて、自分を思いっきり信じてあげれば良かったんだけど、
周りが褒めてくれる人達ばかりになってくると、逆に自分で自分を叱って、貶していかなければならなくなってくる。
自分で自分の粗探し。実はそっちの方がエネルギーを消耗する。しかも粗探しをしながらも、自分を信じてあげなければいけない。一見矛盾した行動。でも、それが必要。キツくてもやる、そしてそれに慣れていく。それが成長。

最終的には「自分で自分の事を信じることができるか?」ここだと思う。
じゃなかったら、そもそも上京しなかったし。
「常に自分を信じ続けられる事」それは、積み上げてきた成功体験だったり、日々の努力だったりするのかもしれない。
その積み上げてきた物達をたまにーに、一気に破壊して、まっさらにしてやると、全く新しい事にチャレンジできたりもする。その繰り返し。

 

まあまあまあ、そんなわけで兎にも角にも、2016年からは今までのやり方をガラッと変えなければいけないし、変わってしまいます。
それは全て新しい5年間を確実に前に進めさせる為に必要な事。

2016年も宜しくお願い致します。