人は死ぬから生きられる―脳科学者と禅僧の問答 (新潮新書) | |
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脳科学者の茂木健一郎さんと、禅僧の南直哉さんの対談本。
脳科学者と禅僧という一見世界観の違いそうな二人だが、意外にも話は大いに盛り上がる。
以下は目次。
星の友情-茂木健一郎
Ⅰ 無記の智慧
坐禅とクオリア/説明不足の仏教/悟りが最終目標ではない/「答え」より「問い」/科学と宗教の役割/言うべきか、言わないべきか/「無記」の思想/恐山と九十五歳のおばあちゃん/現実と仮想/言語と体験の間/仏教にヒューマニズムはない/苦しいけれど生きていく
コラム「恐山探訪記」-茂木健一郎
恐山の禅僧・南直哉師/死者の「好意」が宿る場所/そして過去は死者へとつながる
Ⅱ 脳の快楽、仏教の苦
裸になれる場所/「信じる」とは何か/脳と身体の矛盾/「自分が自分である」根拠はあるのか/航海者と漂流者/「中心」が忘れているもの/存在の根拠としての欠落/生き方を変えない限り考え方も変わらない/なぜ自分は今、ここにいるのか?/修行僧の見る月/脳の快楽、仏教の苦/人生は「苦」である
Ⅲ 人生は「無常」である
クオリア、仮想、偶有性/「疑団」の破裂/偶有性の反意語/生と死のリアリティ/世界を引き受けるということ/生の現場に寄り添う/私は私を始められない/「あなた」がいて「わたし」がいる/生きている限り安心立命はない/人生を質入れしない/生きていることはまがまがしい/「蓮を咲かせる泥になりたい」/断念せよ、そこから始めるしかない/人生の負債を背負う/ブッダが追求したこと/星の友情
悦楽する知-南直哉
この本は三回の対談に分かれていて、第一回目が2004年で第三回目の対談は2008年と4年越しの期間がかかっている。
科学の分野にいる茂木さんが、対談の回数が後になるに連れて、さらに禅の思想への理解を深めて行く様子が読み取れて、とても興味深く思った。
茂木健一郎さんが研究されているクオリア(脳が感じる様々な質感の事)について、南さんが「座禅をしていると、クオリアというものがよくわかるんです」 と、感銘を受けた話題から対談がスタート。
話題は終始仏教思想について展開されていく。
第二章の対談は第一章から一年後。南さんは第一章の対談後、恐山の院代になり、話題も恐山に来てからのエピソードを中心に展開。
■本から得た豆知識
「無記」
本書の中に度々出て来る「無記」という仏教用語。
茂木健一郎さんはこの「無記」について自身のブログでこのように解説している。
——
釈迦は、「この世界はなぜあるのか」
「人は死後どこにいくのか」「魂はあるのか」
といった大きな問いに対して、「無記」を
貫いた。
人生で本質的なこと、とりわけ、自らの
行動原理にかかわることについて
「無記」が大切なのは、
言葉に表すことでかえって
「動き」が止まってしまうから。
言葉で「こうだ」と決めつけてしまうことは、
うごめく生命体をスケッチするよう
なもの。
「茂木健一郎 クオリア日記」
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/01/post-4512.html
——
個人的には、宗教というのはあらゆる事象について常に独自の「結論」を出しているという印象が強いのだが、茂木さんの説明される釈迦の「無記」に関して考えれば、感覚的な意味合いがとても強いのかなと。この辺りも茂木さんが研究されているクオリアという分野と何か共鳴する点があるのかなと感じた。
南さんと95歳の老女とのエピソード
P41
“私は以前、95歳のおばあちゃんに「極楽に行ける」と言ったことがあります。「和尚さん、死んだら私は良いところへ行けますか」と訊かれて、そう答えた んです。仏教の教理の話だったら「無記」のことを教えて、あるともないとも言いませんよ。ところが95歳のおばあちゃんに問われて、仏教教理の話をして も、それは愚かというものでしょう。だから私は、「行けるに決まってるじゃないの。こんなに努力して、一生懸命がんばったおばあちゃんが良いところへ行か なくて、どこに行くんだ」と答えました。それを嘘だと糾弾されると非常に困る。教理からすれば違っているかもしれない。しかし私とおばあちゃんの間では本当なんです。”
P90
南 「前回も話が出ましたが、釈迦の「無記」というのは、学者や評論家といった理性主義を標榜するインテリには、霊魂の否定と受け取られて 人気があるんですが、真意は違う。「判断しない」というのが最大のポイントです。
茂木 「怖いぐらいの叡智ですよね。私もそこが重要なところだと思います。
南 「それを科学者という理性の極致にいる立場のあなたがおっしゃるから、私は驚いたんです(笑)」
茂木さんも南さんも、おそらく自身の分野では「異端児」なんだと思う。その異端児同士だからこそ、脳科学と仏教でここまで融合できたのではと感じた。
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